■ブログメディアからニュースメディアへ、オネエチャンの露出も上下した経緯は?
「これからのトレンドはブログメディアだ」というITコンテンツ大得意な立ちあがったばかりのベンチャー企業(たしかスタッフは5〜6名だった)社長の予言を受け、クリッカーは2010年秋ごろから準備し、12月21日にローンチしました。
ローンチ後の間もない2011年3月11日の震災では、報道規制の内側に入っちゃったり、かなり際どいお下品なネタも「オトナが楽しめるサイト」と言い聞かせて公開していきました。
というのも、当時専属でやっていたのは僕ともうひとり、「小野真人」の2名でした。彼の独特の美学(ここでは書けないような趣味も!)のお陰でクリッカーの独自性も根付いて、「クリッカーは他とちょっと違ってて面白いね」と言っていただけるようになったと思います。
その後、i-MiEVで大阪往復したり、世界で初の公道を走れるカートで任天堂公認のマリオの衣装を来て渋谷や原宿を合法的に走って遊んだのを動画で見せたおかげで社会問題を引き起こしたり、色んな乗り物や乗り物じゃなくても車輪が付いたものに乗ってメロディロードを走ってみたり、失うものがないんだからと、好き放題やらせてもらいました。
けれど、遊んでばっかりで商売になるはずなく、段々と自動車メーカーをはじめとするナショナルクライアント様とお付き合いするようになって、あまり無茶なことができなくなっていきました。そう言えば、Googleネットワーク広告の関係で、露出の多い女性の写真などもNGになっていきましたっけ。ファンの皆様ゴメンナサイm(_ _)m
「ブログメディア」というメディアのジャンルも「無責任に他人のブログを載せるサイト」のイメージもできてしまい、ちゃんとしたニュースサイトにしましょう、ということで、その後はニュースサイトを名乗ります。でも、編集長の素直なものの見方と相反して!?斜め上から物事を見て語るのがクリッカーのイメージになっていったお陰で、「ストレートな自動車媒体じゃないところに載せたいんだよね〜」という話が舞い込むようになってきます。
それで(だと思いますが)、国沢さんのアメリカグレートレースチャレンジ、ニュージーランド真夏のBMW雪上ユーザー試乗会、フランスのル・マン24h、メキシコのバハ1000、ドイツのエッセンモーターショーなどの取材案件が舞い込んできてくれました。
ル・マンは2016年で、ゴールの1時間前くらいからグランドスタンドで見ていら、ゴール5分前になって中嶋一貴ドライブのトヨタ5号車が眼の前で止まったのが忘れられません。「ゴールしたと勘違いしたのか?」とか想像しましたが、しばらくたってパワーダウンの原因など事の真相を現場で聞くことができました。けどもちろん、『【速報】祝!トヨタ悲願のル・マン初優勝 日本人ドライバー&日本チームでも初快挙!! 3位も獲得!!!』ってタイトルの予定稿を上げてたんですよ。そう言えば、どこかの媒体は記事を誤って公開してましたっけ。
動画についても当初から積極的に取り組んでましたが、後半では動画媒体とWebブラウザ媒体は別物のようなながれになってきたせいか、充填できなくなってきました。初期には、初代クリガールの「くぼきひろこ」に毎号部品が発売されて自分で組み立てる「週刊日産GT-R」を不器用に組み立てさせ、となりには缶チューハイの空き缶を並べていくなんていう、自動車媒体では画期的な見せ方を心がけていました。
けど、今では大人気自動車系YouTuberになってしまったウナ丼が動画を始める時、一緒にやらないか?ということでプロトタイプの動画を2人で作ったこともありました。ウナ丼が車に興味津々の少しおかしな少年、僕が車に詳しいキ●ガイ博士という設定です。今になって思えば、あれを続けていれば僕も人気YouTuberになれたのかも知れないのに…
それから、レースクイーン大賞のクリッカー賞が実はレースクイーンたちの中ではかなり有名なのを知ってますか? いまは人妻になった藤木由貴ちゃんがクリッカー賞を受賞。
その翌年はレースクイーン大賞の部門賞各賞を総なめにして、その後はレースクイーンを卒業し芸能系のステージへ。それ依頼、「レースクイーン大賞クリッカー賞を受賞すると将来売れる!」というジンクスが広まったようです。実際に、将来性も重視して選考していたのは確かです。受賞した皆さんにはこれからも活躍していただきたいですね。
GENROQ webやWeb OPTIONの体制を作りローンチしたり、正直言って失敗に終わったautosalon.tokyoというまとめサイトを立ち上げたりとしてきました。
今後のクリッカーは生まれ変わり、詳細はお伝えできませんが、自動車のお役立ち情報などが掲載されていくとのことです。
僕自身も、変わらずこれからも車の楽しさを伝えるお仕事を続けて参ります。
さて、本当に13年間の間お世話になりました。
これからのクリッカーも小林もよろしくお願いいたします。
ここに、読者のみなさまと、業界関係者のみなさん、システム関連や広告関係のみなさん、編集部のみなさんに感謝を申し上げて、締めのご挨拶とさせていただきます。
最後に、一緒にクリッカーを立ち上げ2023年に亡くなった故小野真人の御冥福をお祈りします。ありがとう。
(初代クリッカー編集長 小林和久)
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